映画『正体』レビュー 横浜流星さんが生きた鏑木慶一

横浜流星さんの演技が好きだ。しかし今回は、「演技」という言葉を使うこと自体、失礼なことなのではないかとまで思った。

 

横浜さんがあまりにも「その人」を生きているからだ。

 

映画『正体』を見た。

 

『正体』は、染井為人さんの同名小説を原作にした物語。映画『新聞記者』、『余命10年』などを手がけた藤井道人監督がメガホンを取った。藤井監督と横浜さんのタッグは長編では今回が3回目。信頼関係を築いてきた二人のタッグは、毎回注目している人も多い。

 

あらすじ
日本中を震撼させた凶悪な殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木(横浜流星)が脱走した。潜伏し逃走を続ける鏑木と日本各地で出会った沙耶香(吉岡里帆)、和也(森本慎太郎)、舞(山田杏奈)そして彼を追う刑事・又貫(山田孝之)。又貫は沙耶香らを取り調べるが、それぞれ出会った鏑木はまったく別人のような姿だった。間一髪の逃走を繰り返す343日間。彼の正体とは?そして顔を変えながら日本を縦断する鏑木の【真の目的】とは。その真相が明らかになったとき、信じる想いに心震える、感動のサスペンス。

映画『正体』公式サイトより

 

以下、原作と映画のネタバレがあります。また、この記事はnoteにも同じ内容で投稿しています。

 

今回鑑賞するにあたって、原作を読むべきか悩んだ。Xで投げかけたところ、読んでからがおすすめだというアドバイスを何件かもらったので、原作を読んでから鑑賞した。

 

この物語に使う言葉ではないのかもしれないけれど、キャストを知ってから原作を読み、ワクワクした。鏑木を演じる横浜さんの姿にものすごく期待した。

 

原作はとても丁寧にストーリーが紡がれている。鏑木が逃走中に出会った人々の視点がメインで描かれていて、自分がまるでその人に入り込んだような気がするくらい引き込まれた。読んでいるときは、頭の中が完全に支配されていて、夢にまで鏑木が登場した。結果、原作を読んでからの鑑賞は正解だと思ったけれど、原作未読で鑑賞する世界もまた体験してみたかった。どちらにしても、原作を読むことは強くおすすめしたい。

 

原作と映画はところどころ設定が変わっている。あの長編小説を、とても綺麗にわかりやすく紡いでいて、そして何より救いがあった。

 

原作では、鏑木の視点で語られる場面はない。すべての章で、鏑木が出会った人の目線から鏑木のそのときどきの印象が語られる。そのため、鏑木の気持ちは読者が想像するしかなくて、そこが原作の魅力でもあり、もどかしさでもあった。このとき鏑木は何を考えていたんだろうとか、どんな表情をしていたんだろうとか、想像が追いつかなかった。

 

それをすべて掬いあげてくれたのが、横浜さんの演技だった。
いや、横浜さんが生きた鏑木慶一だった。

森本さん演じる和也と、部屋でビールを飲むシーン。

 

鏑木は逮捕されたとき18歳だった。そのため飲酒経験がなく、ビールはおそらくそのとき初めて飲んだのだ。缶を両手で包み込むように持って、飲んだあとのなんともいえない表情。ビールって初めて飲んだら苦いもんね。なんで大人はこんなものを飲むんだろうって気持ちになるよね。って、鏑木のことを愛しく、かわいらしく感じた。そんな鏑木の姿は、どこか切なかった。

 

和也とのシーンは、森本さんの演技も素晴らしかった。まさか、というわかりやすい狼狽えと、きっと和也も良い子なのに訳ありっぽい陽の中に潜む影の表現がリアルだった。

 

この物語を語る上で、吉岡さん演じる沙耶香とのシーンは欠かせない。沙耶香と初めて食事をしたとき、鏑木が焼き鳥を頬張る場面。やはりこの場面も、ビールを飲んだときと同様に少し素の鏑木が出ている感じがした。食に触れる部分では人間は嘘をつけないのかもしれない。

 

何よりもその後、沙耶香に「信じる」と言われるシーン。この際、沙耶香は鏑木のことには気づいておらず、あくまでも自分が接してきた那須(沙耶香の前で鏑木が使っていた偽名)という人物の状況に対して発言している。

 

鏑木にとって沙耶香の「信じる」という言葉は、どれほど重い言葉だったのだろう。全員に疑われ、信じてもらえず、死刑判決をされた少年。「信じる」という言葉を聞いて、みるみるうちに涙が目に溜まっていく鏑木の表情で、鏑木がこれまでにどれだけのことを抱えていたのかが少しだけ観客に伝わる。「少しだけ」と書いたのは、計り知れないからだ。鏑木の抱えていたものなんて、私たちには。

 

沙耶香とのパートは、鏑木の人間らしい部分がよく見えた。原作でもそうではあるけれど、横浜さんの鏑木は、表情や声色が柔らかい。本当に束の間の、幸せを感じる時間だったのかもしれない。ちなみに原作では、鏑木は沙耶香のことを「さーや」と呼ぶ。それが意外でかわいらしくてお気に入りの展開なのだけれど、映画ではその描写はなかった。

 

でもその鏑木のかわいらしさは、すべて横浜さんの柔らかい笑顔が表現してくれていた。年相応の、でも少し背伸びしている、好きな人の前で見せる表情。映画では、幸せそうな時間が断片的に表現される。じっくり表現せずとも、その間に鏑木と沙耶香が重ねてきた時間がかけがえのないものだったのだろうと想像できた。沙耶香のパートは特に、原作が頭に入っていると余計に切なく感じた。

 

沙耶香との場面のクライマックス。それは沙耶香が自分のことを鏑木だとわかっていると知った瞬間の顔。誰かのひとつの表情であそこまで感情が込み上げてきたことはない。絶望と希望が混じったような、でも希望の方が少しだけ多いような、そんな表情だった。

 

ラストにかけては、原作と違う流れで物語が進んだ。原作を読んでいたときの願いや希望がすべて表現されていて、救われた気持ちになった。山田さん演じる刑事・又貫の「なぜ逃げたのか?」の問いの答えには、心臓が抉られるかと思った。これはぜひ本編で見てほしい。

 

本当の鏑木慶一は、優しくて、清潔で、透明で、無垢だった。原作を読んでいたとき、本当の鏑木慶一の姿はぼやけていた。第三者目線で話が進むので、和也や沙耶香の目から見た“ベンゾー”や”那須“の姿が多く語られているからだ。そのどれもがきっと“本当の鏑木慶一”ではあるが、なんの変装もしていない“鏑木慶一”は、どこかぼやけていた。

 

和也が鏑木と対面して、「お前、そんな顔してたのかよ」と口にする場面がある。その場面で涙が溢れてしまったのは、私もそう思ったからだ。鏑木慶一は、優しくて、清潔で、透明で、純粋で、無垢だ。横浜さんが生きた鏑木が、それを証明してくれた。“鏑木慶一”という少年がクリアになった。

 

「役を生きる」とは、こういうことなのか。

 

横浜さんはあの物語で、間違いなく鏑木慶一だった。鏑木が生きていた。

 

あなたは、そんな顔してたんだね。